SSブログ

16年前、母が倒れた日 [母のこと]

あれから16年も経ちました
忘れっぽい私ですが、あの日のことははっきりと覚えています

いつものように出勤して、さぁこれからと思っていたら
母がお世話になっていた老健施設から電話が
「母が自室で倒れ、今救急搬送しているので病院が分かり次第連絡するので待機していてください」

高齢だったのでいつかはこんな日が来るのではないかと覚悟はしていましたが心臓がドキドキ
とりあえず上司に事情を話し、休暇の手続きをし、若干仕事の引継ぎをし
そうこうしているうちに搬送先の病院を知らせる電話があり、すぐに車で出発

こんな時に交通事故を起こしては大変
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるもののついついスピードが

病院につくとすぐに主治医から説明が
脳幹出血で今は昏睡状態
意識が戻ることはないでしょう
人工呼吸器をつけますか できるだけ早く決めてください
つけなければ今日か明日には呼吸が止まります

私だけでは決められない重い判断 
答えによっては母の命は終わってしまう
姉と弟がいるのですが、電話を何度かけてもつながらない でも自分だけでは決められない
主治医からは早く判断をと言われる

母は延命治療はしないようにとよく言ってました
分かった分かったと答えてはいたけど、そこで母の命が消えるのかと思うとなかなか答えられません

でも結局病状と母の年齢を考えて
人工呼吸器はつけず天にお任せします と答えました
母はただすやすやと眠っています

そして次の日の早朝3時ごろ
東京にいる孫たちも全員駆けつけ皆に見送られて静かに旅立ちました 88歳でした

そのあとは怒涛の忙しさ
あっ血圧の薬今日もらいに行く日だった 
私が倒れるわけにはいかないので、いったん帰宅し速攻病院へ
私の疲れ切ったただならぬ様子に先生が「どうしましたか?」と
事情を話したら
「これからが大変だから点滴をしていきなさい これで3日くらい乗り切れるよ」って ありがとう先生
まだ悲しみもわかず、母の死が嘘みたいで、でも寝ていないのでとても疲れ切っていて
ベッドに横になり点滴をしている間がつかの間の休息になり いろいろ考えることができました

あれから16年が経ちました
さすがに不意に涙は出てこなくなりましたが、姿格好が似ているお年寄りを見かけると母を思い出します

まだまだ母は私の心の中で生きています

明日は命日です 
黄色い花が好きだったので飾ろうと思ってます


nice!(4)  コメント(1) 

nice! 4

コメント 1

向日葵

未だ、なんとか命のある母ではありますが、
この突然の事態、母の身にも2007年3月14日に起こり、
あたふたした事はワタクシも鮮明に覚えています。

「そのまま」だったのですね。。
ご冥福をお祈りいたします。
by 向日葵 (2021-01-31 10:59) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

こぶしの花芽贈って応援 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。