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母の形見 [母のこと]

母が亡くなって18年が経ちました
亡くなる直前までお茶など飲んでいて、ちょっと目を離してる間に脳幹出血をおこし、そのまま昏睡状態に
言葉を交わすこともなく翌日早朝風のように旅立ちました

贅沢なことは何一つしない質素な母でした

形見にと残した品の一つに、亡くなるまで使っていた眼鏡ケースがあります
プラスティックの普段使いのものですが、眼鏡を購入するときに一緒に行ったので思い出深い品です

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今は私の老眼鏡用の普段使いの眼鏡ケースに使っています
開けると懐かしい母の字で購入年月日が書いてあります
几帳面な母だったので、物を買うと必ず日付や名前を書いていました

IMG_8690.JPG

晩年手が震えるようになってたどたどしい文字ですが、確かに母の筆跡
眼鏡を使うたびに母を思い出します


健気なアマリリスが頑張って咲いてます

IMG_8699.JPG

去年はとても大きな立派な花を咲かせてくれましたが
今年はご覧のように直径7cmほどの小さな花が3輪


アマリリスは花を咲かせた後は球根が半分くらいの大きさになってしまい
1年ではなかなか元通りには回復しないので、大きな花の翌年は咲かなかったり……

このアマリリスは子球を二個もつけて、すっかり小さくなってしまったので
今年は咲かないかなと思っていら、小さいながら3輪も咲いてます

子孫を残すために我が身を削って分球した本当に健気なアマリリス
何となく母の姿と重なって、愛おしい小さいアマリリス

とても綺麗です


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16年前、母が倒れた日 [母のこと]

あれから16年も経ちました
忘れっぽい私ですが、あの日のことははっきりと覚えています

いつものように出勤して、さぁこれからと思っていたら
母がお世話になっていた老健施設から電話が
「母が自室で倒れ、今救急搬送しているので病院が分かり次第連絡するので待機していてください」

高齢だったのでいつかはこんな日が来るのではないかと覚悟はしていましたが心臓がドキドキ
とりあえず上司に事情を話し、休暇の手続きをし、若干仕事の引継ぎをし
そうこうしているうちに搬送先の病院を知らせる電話があり、すぐに車で出発

こんな時に交通事故を起こしては大変
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるもののついついスピードが

病院につくとすぐに主治医から説明が
脳幹出血で今は昏睡状態
意識が戻ることはないでしょう
人工呼吸器をつけますか できるだけ早く決めてください
つけなければ今日か明日には呼吸が止まります

私だけでは決められない重い判断 
答えによっては母の命は終わってしまう
姉と弟がいるのですが、電話を何度かけてもつながらない でも自分だけでは決められない
主治医からは早く判断をと言われる

母は延命治療はしないようにとよく言ってました
分かった分かったと答えてはいたけど、そこで母の命が消えるのかと思うとなかなか答えられません

でも結局病状と母の年齢を考えて
人工呼吸器はつけず天にお任せします と答えました
母はただすやすやと眠っています

そして次の日の早朝3時ごろ
東京にいる孫たちも全員駆けつけ皆に見送られて静かに旅立ちました 88歳でした

そのあとは怒涛の忙しさ
あっ血圧の薬今日もらいに行く日だった 
私が倒れるわけにはいかないので、いったん帰宅し速攻病院へ
私の疲れ切ったただならぬ様子に先生が「どうしましたか?」と
事情を話したら
「これからが大変だから点滴をしていきなさい これで3日くらい乗り切れるよ」って ありがとう先生
まだ悲しみもわかず、母の死が嘘みたいで、でも寝ていないのでとても疲れ切っていて
ベッドに横になり点滴をしている間がつかの間の休息になり いろいろ考えることができました

あれから16年が経ちました
さすがに不意に涙は出てこなくなりましたが、姿格好が似ているお年寄りを見かけると母を思い出します

まだまだ母は私の心の中で生きています

明日は命日です 
黄色い花が好きだったので飾ろうと思ってます


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母と化粧 [母のこと]

もうすぐ母の日
最近は祝ってもらう立場になりましたが
私の中では、母を祝えなくてやっぱりさびしい気持ちです。

母はとてもおしゃれな人でした。
若いころの写真を見ると、ちょっとエキゾチックな顔立ちで
小顔で、身長が160㎝ほどあり、母の年代としては大柄で
すらりとしていました。

家にいるときも、施設に入ってからも
いつも髪を整えて、眉墨(eye brow)を引き
口紅を付けていました。

母に介護が必要になったころ、私は職場でも家庭でも多忙でした。
月~金までは仕事と家事で手一杯
子供に手はかからなくなったけど、進路のことなどで
頭を悩ますことが度々
夫は遠距離通勤でこちらも余裕のない生活
夫の両親も何かと体調を崩しがちでした。

週末は1週間手抜きしていた家事をまとめてこなし
早く母のところへ行かなくてはと気がもめました。

「1分でも早く母のところへ」と思うと、身だしなみや化粧もそこそこで
出かけてしまっていました。
母のために好物を買って、早く母の喜ぶ顔を見たいとそればかり
考えていました。

母から見ればそんな娘の姿は心が痛んだのでしょうね。
生活に余裕が感じられず、身なりもあまり構わず、化粧もしていないときもあり・・・・・

母が亡くなる1週間ほど前、下の息子の成人式の挨拶に母のところへ
行きました。息子はスーツ、私もちょっと盛装して念入りに化粧をして・・・・

母はたいそう喜んでくれました。
孫の成長はもちろんですが、それより娘の私がいつもと違っていることを
喜んでいたように感じました。

母が亡くなった後、亡くなる前日まで書いていた日記を読むと
その日のことが書いてありました。私が想像していた通り
「○○子(私のこと)が立派な服を着て、きれいに化粧をしていたので嬉しかった」

母は口には出さなかったけど、私の身なりや化粧の様子から
きっと私の生活や心身の状態を心配をしていたのだと今痛感しています。

おしゃれだった母にとって嬉しいのは
好物を食べることより、身だしなみに気をつけてきれいにしている
娘を会うことだったのでしょうか

亡くなる前日、いつもキレイに髪を整えて居た母なのに
その日だけは髪が乱れていました。
「お母さん 髪乱れてるよ」といって、直してあげたのが
最後の親孝行でした。

最近夫から「だんだん亡くなったお母さんに似てきたね」
といわれます。勿論おばあちゃんになった母にです。
あ~もっと若いときに言われたかったなあ(苦笑)

かいどうの花が咲き始めました。
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