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母の夢を見ました。 [母のこと]

お彼岸の朝、母の夢を見ました。
夢の中でいいから「もう一度母に会いたい」
という願いが、やっとかなえられました。

二人でどこかで出かけたのですが
途中から母がいなくなってしまいました。
あちこち探してやっと見つけたとき
母はちょと怒ったような顔をしていました。
「何処行ってたの? 心配してたのに」
といって母を抱きしめたら
すごく嬉しそうな顔をしてくれました。

たったそれだけの夢でした。
でも、目を覚ましたとき嬉しくて
涙が出てきました。


母の3回忌 [母のこと]

早いもので母が亡くなってまる2年が経ち、先日母の3回忌を行いました。
あまりにも突然逝ってしまったので、自分の気持ちをどうしていいのか分らず
悲しさ、悔しさ、など様々な思いの中でこの2年間過ごしてきました。

「千の風になって」を聞くと、今でも母がすぐ傍に居るような気がします。
「吾亦紅」を聞けば、母を想い涙している人もきっと居るはずと
自分を慰めています。

今でも「もう一度母に会いたいなあ お茶しながら話をしたいなあ」と
叶うはずもないことを考えてしまいます。

せめて夢の中に出てきてくれないかしらと思うのですが
なぜか一度も母の夢を見たことがありません。

「お母ちゃん(小さいころそう呼んでいたので)!
おばあちゃん、お父ちゃん、幼くして戦時中に亡くしてしまった息子
に会って、きっと楽しく過ごしているんだね 」

そう思うと心が少し和んできます。
私もお母ちゃんの娘らしく、元気に明るくやりますよ!

我が家の庭 福寿草もまだ目覚めないようです。
この写真は数年前のあやめ畑です。
姑は10年ほど前に、100坪ほどの休耕田にあやめ園を作りました。
色とりどりの花が一斉に咲き、わざわざ写真を撮りに来る人がいるほどでした。
でも、それを維持していくにはものすごい体力と気力が要ります。
それで縮小したあやめ園(?)がこの写真です。
現在はさらに姑の体力に合った規模になっていますが
毎年家族はもちろん、近所の人の目を楽しませてくれています。

 

 


母のこと2 [母のこと]

勇気を出して、母のことを書いてみたら、気持ちが少し落ち着きました。もう少し母のことを書いてみます。

母は亡くなる前の年から、冬の間自宅近くの老人保健施設のお世話になっていました。冬期間の高齢での一人暮らしは、健康面でとても心配でしたし、何よりも寒い台所での炊事や一人での入浴は母が可哀想で、娘としては耐えられるものではありませんでした。

幸いお世話になっていたケアマネージャさんがとても良い方で、母の言葉に真剣に耳を傾けてくれ、優しい言葉で母を励まし、いたわってくださいました。母もその方をとても信頼し、何でも相談していました。母の晩年を支えてくださったケアマネージャーさんに今でも大変感謝しております。

母はその老人保健施設の、認知症や病気の後遺症などで意思の疎通が不自由な方々が入る棟を望んで入所しました。入所者同士の人間関係のトラブルを嫌っていたので、母なりの考えがあったのでしょう。新しい施設で全室個室だったこともあり、本を読んだり、テレビを見たり、タオルたたみのお手伝いをしたりして、また話の合う友達とおしゃべりをしたりして何とか新しい生活になじんでいきました。

食事、入浴、服薬の管理、健康管理などお世話になることができ、本当にほっといたしました。けれど私たちが同居してあげられないことが母に申し訳なく、私の心をとても重くしていました。

私は月曜日から金曜日までは仕事がありましたので、毎週土曜日に母に会いに行きました。私の顔を見たときのうれしそうな母の顔が今でも浮かんできます。

私が帰るとき、母は玄関まで私を送りたがりました。でも私は私の車が見えなくなるまで手を振っている母の姿を見るのがつらいので、送らなくていいといつも言いました。送りたいのに、なぜ断られるのか母には理解できなかったでしょう。私もなぜか理由を説明したくありませんでした。「送る」、「送らないで」と帰り際にはたいてい問答していました。なぜ気持ちよく送ってもらわなかったのか、思い出すたびにいたたまれない気持ちになります。自分の気持ちしか考えなかった自分が今になって許せないのです。

 


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